約90年間使用された、擬洋風建築の小学校
2020年7月、長野県松本市にある国宝・旧開智学校を訪れました(現在は耐震工事のため休館中。2024年秋以降に開館予定)。
まず驚いたのが、この建築の美しさ!
1963(昭和37)年3月まで、現役の小学校校舎として、約90年間使用されていました。これも素晴らしいことですね。
校舎は一見洋風建築風ですが、地元の大工棟梁が、西洋人建築家の設計した建物を参考に、見よう見まねで建てた西洋建築「擬洋風建築」に分類されています。
文明開化期の、教育に賭ける熱い思いが反映された校舎
1873(明治6)年に、当時の筑摩(ちくま)県権令(県の長官)に就任した永山盛輝(旧薩摩藩士)は、教育の普及に尽力し、県内に多くの学校を設置しました。
この旧開智学校もその1つで、1876(明治9)年、永山が自ら工事現場に出て監督を務めたのだとか。
工事費は今のお金で2~3億! その7割が松本町全町民の寄付でした。全町民というのがすごい! 新しい教育に賭ける意気込みが伝わってきます。
よく見ると、2階バルコニーの屋根では天使たちが校名の額を掲げ、その下には瑞雲や龍の彫刻があったりと、和洋折衷で面白い。
八角形の塔や風見鶏があったり、目立つ場所には高価な色ガラスが使われたりもしていますが
風見鶏の方位表示は漢字だし
瓦葺など和風の部分もしっかりあって、文明開化の時代に入ってきた西洋建築と、伝統的な日本建築の融合が随所に見られました。
写真の技術が悪いため、なかなか建物全景を撮影することができませんでしたが、内部には新築当時の模型もあります。開校式には7,000人の来客と、12,000人の参観者が押し寄せたそうです。
近代学校教育の歴史がよくわかる展示品の数々
現在旧開智学校は教育博物館になっていて、現役の学校時代から残されていた多くの資料が展示されていました。
教室も復元されています。多分小学校の教室だと思うのだけれど、手前の単語図に書かれた漢字が難しすぎる!
各時代の教科書もたくさんありました。この時はコロナ禍真っ最中だったため、学校教育と感染症対策をテーマにした企画があったのですが、小学生の修身(道徳)の教科書には、ジェンナーや野口英雄など、感染症と闘った人々の伝記が紹介されていました。
感染症対策として、体力をつけること=体育教育も重視されました。体育教師のための指導書の中には、
女学生の運動着についても記述があり、大河ドラマ『いだてん』に描かれた、近代スポーツ黎明期の姿が懐かしく思い出されました。
人気ドラマ『おしん』の主人公のような、貧しい子守の少女たちを対象に放課後に授業を行ったりもしたそうです。
冬の寒さが厳しい松本には、石炭ストーブも欠かせませんね。
算数の教科書いろいろ
旧開智学校には、国語や修身の教科書もあったのですが、算数の教科書もたくさんありました。算数の教科書は(特に低学年のものは)、直感的に内容がわかって面白いです。
小学校の算数で、避けて通れない九九の表。
カラー印刷で、大きな時計や数のパネルなどがあって、今でも使えそうな教科書ですが、よく見ると登場している子供たちが和服ですね。
戦争がはじまると、算数の教科書にも戦車や戦闘機が! こんな時代には戻りたくないです。
明治時代の算数の問題に挑戦するコーナーもありました。自信のある方は、ぜひ挑戦してみてくださいね!
子供たちの絵が残っていた!
教科書や指導書、学校日誌や生徒の欠席理由をまとめた書類(下の写真)などが残っているのは、今の学校でもありそうですが(それでも古いものはかなり処分していると思う)
生徒たちの絵画作品が残っているのには驚きました。当時は返却しなかったのかな? それとも上手だから「お手本」として保管していたのかな?
明治時代の作品
大正時代の作品
そして昭和時代の作品が、2階の展示室にありました。昔の教科書は見たことがあったけれど、生徒の絵は初めて見ました。どれもみな上手です。
展示室の隣には明治天皇の御座所として使われた部屋もあり
講堂には美しいデザインの照明もあって、外側も内部も美しい学校だなと改めて感じることができました。
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