穂高駅まで徒歩で行く! 歩いて発見した多々良氏ゆかりの場所
2020年7月、安曇野市の大王わさび農場を見学私たち。
長野県の土地勘が全くないため、大王わさび農場へはJR大糸線の穂高駅からタクシーで向かったのですが
帰りは歩いてみることにしました。
のどかな田園地帯の中を歩くことも多かったのですが、
半分ほど歩いたところで、偶然すごい屋敷を発見! 室町時代から、地元の豪族・仁科氏に仕えてきた多々良(たたら)氏の館跡。江戸時代からは名主となり、松本藩主が狩猟の際にここで休息したそうです。
その向かい側には、多々良氏が開いた東光寺。信州七福神の大黒天の札所だそうです。
この大きな下駄は、「吉祥仁王様の下駄」。履くと願い事が叶うとか。今回は遠慮しましたが、履かなかったことをちょっと後悔しています。
日本アルプスの総鎮守・穂高神社
穂高駅の近くには、穂高神社もありました、
2023年4月23日(日)、偶然御柱(おんばしら)の曳行に行きあった沙田(いさらだ)神社と同様
穂高神社も信濃国の三宮(三番目に格の高い神社)なので
それにふさわしい、とても立派な神社でした。
こちらは里宮(本宮)ですが、上高地の明神池に奥宮、
そして奥穂高岳山頂に嶺宮があり、「日本アルプスの総鎮守」と呼ばれています。
祭神は「穂高見命(ほたかみのみこと)」で、上高地や奥穂高岳山頂に社があることだし、これは誰が考えても山の神だと思っていたら
父である綿津見命(わたつみのみこと)も穂高見命も海の神で、安曇氏の祖神なのでした。山に祀られているのに、海の神というのが不思議です。
御船祭と阿曇比羅夫
安曇氏(阿曇氏とも)の発祥の地としては、福岡県東部や淡路島など、海に近い場所ではないかとされています。また、海人集団の長とも考えられています。
それがどうして、海のない信濃国安曇野に、神社や地名を残しているのでしょうか。一族の一部が移住し、この辺りを開発したのかもしれませんね。
この神社の大きな祭の1つが「御船祭」で、神社にあった会館も「御船会館」という名前でした。
境内には、飛鳥時代に百済との外交で活躍した安曇(阿曇)比羅夫(あずみのひらふ)の銅像も。武装した像からわかるように、海軍の将でした。
彼は百済の王子を助けるべく水軍を率いて朝鮮半島に渡りましたが、白村江の戦で戦死。彼も穂高神社の祭神で、御船祭は彼の命日に行われるそうです。
ここからJR穂高駅は、徒歩で6分ほど。よく見ると、駅舎は神社のようなデザインで
この地域における穂高神社の影響力を知ることができました。
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