一休さんゆかりの酬恩庵  宮内庁が管理する「宗純王墓」と美しい庭園

スポンサーリンク



2022年9月3日(土)、「神君伊賀越え」の舞台である京都府宇治田原町の山口城跡を訪ねた後

『どうする家康』ゆかりの宇治田原町  「神君伊賀越え」の舞台・山口城跡へ

2023年7月28日

京田辺市の酬恩庵に参拝しました。ここはアニメでも有名な「一休さん」が晩年を過ごした場所です。

新田辺駅から徒歩で酬恩庵へ

宇治田原町の山口城跡から京都京阪バスでJR京田辺駅で下車。以前JR片町線(通称「学研都市線」)を走っていたSL(C11)の動輪が展示されていました。

ここから徒歩で酬恩庵までは20分ほど。

暑い時期には少し大変でしたが、道標は完備されていて迷うことはなく

酬恩庵の総門に到着しました。

酬恩庵一休寺に残る一休さんの面影

総門をくぐり、石畳の参道を歩きます。

緑が美しく、駅から歩いてきた疲れや暑さも癒されます。

途中にあったこの石碑は、一休さんの言葉を刻んだ石碑。「諸悪莫作 衆善奉行(悪いことはするな、よいことをせよ)」という意味だそうです。

参道の終着点には、宗純王廟。つまり一休さん(一休宗純)のお墓なのですが、彼の父親は後小松天皇(足利義満時代、南北朝統一を成し遂げた北朝の天皇)とされています。つまり一休さんは、親王宣下こそ受けていませんが、立派な天皇の子(王)であり、墓所にも菊の紋章が飾られ、「王墓」として宮内庁が管理。

そのため門内への一般の立ち入り・参拝は不可でした。

僧侶の居住の場である庫裏や、方丈(ほうじょう 住職の接客や仏事に使う建物)は、江戸時代に加賀前田藩三代目藩主・前田利常の寄進によって再建されたそうです。

方丈には重要文化財の一休禅師木像(本人の頭髪や髭を抜いて植え付けた)や、江戸時代初期の画家・狩野探幽の襖絵があり、それらは撮影できなかったのですが、

一休さんが81才で大徳寺の住職になった際、ここから紫野まで乗って通ったという輿(こし)が置かれています。

方丈の庭は美しい! 上は南庭。

こちらは北庭です。枯滝落水の様子を表現しており、江戸初期のものとしては第一流なのだとか。

方丈のこの部分は、一段高くなっていました。一休さんの像が安置されている場所かな?

「一休寺」というだけあって、絵馬奉納所には、一休さんのアニメに出てきたさよちゃんや

母上など、アニメの登場人物に再会することもできました。

戦国大名の墓もあった一休寺

禅宗寺院らしく、

本堂や

浴室も目を引いたのですが、旧墓地に眠る人々も、なかなか興味深いものでした。まず驚いたのが

戦国大名・六角義賢(よしかた)の墓。彼は剃髪後、承禎(じょうてい)と号していますが、南近江の戦国大名で観音寺城(滋賀県近江八幡市)の城主。足利義昭を奉じる織田信長と対立するも敗れて南近江の信楽(しがらき)へ逃れ、信長の死後は秀吉に仕え、キリシタンの洗礼も受けたという波乱の生涯を送った人物。

この他にも能楽観世流の人々や

豊臣秀吉の小姓となり、後に家康~家光三代に仕えた茶人・佐久間実勝(寸松庵 すんしょうあん)の墓もありました。

戦国大名、能楽師・茶人と身分はそれぞれ違いますが、死ねばみな同じ。どうか安らかに眠ってほしいなと思いました。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です