『どうする家康』ゆかりの地  柴田勝家とお市夫妻が最期を迎えた北の庄城址・柴田公園  

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2021年6月、NHK大河ドラマ『どうする家康』で描かれた北の庄城址に行く機会がありました。周辺は公園になっており、柴田勝家やお市さま、さらには浅井三姉妹ファンにとっても見どころが多いと思いますのでご紹介します。

珍しい「バリアフリーの城跡」

越前の戦国大名・朝倉氏が織田信長によって滅ぼされた後、越前は一向一揆に支配されますが、織田信長の家老・柴田勝家が一揆を鎮圧し、越前の支配を任されました。

彼が根拠地として建設したのが、現在福井市の中心部に城址が残る北の庄城です。駅から徒歩10分足らずでした。

現在は「北の庄城址・柴田公園」として整備され

柴田勝家、お市、浅井三姉妹というゆかりの人々の紹介も丁寧です。

ここには、九層(一説には安土城と同様の七層)の大天守閣がそびえ立っていたのです! この城を2度訪れたイエズス会宣教師ルイス・フロイスの記録によると、「城及び他の屋敷の屋根が全てことごとく立派な石で葺かれており、その色により一層城の美観を増した」そうです。

しかし1583年、羽柴秀吉軍に敗れた柴田勝家らと共に滅びてしまいました(勝家の自害後、家臣が火薬に火をつけた)。

平成の発掘調査で発見された遺構が見学できるようになっていますが、ここは全国でも珍しい、バリアフリーの城跡。スロープがあって車椅子でも移動できそう。ちなみに上の写真左手の建物が、後ほど紹介する柴田神社です。

公園内の資料館2階テラスから見ると、園内の遺構がよくわかります。

公園内には、柴田勝家の北の庄落城後、家康の次男・結城秀康(母は側室のお万の方)によって築かれた北の庄城(福井城)の一部が

復元展示されていました。

上は、福井城三の丸南側にあった「日向門」の遺構。

この堀と石垣も、福井城のものでした。

福井の基礎を造った柴田勝家 愛される勝家ファミリー

現在の福井市に、初めて都市を建設したのが、北の庄城と城下町を整備した柴田勝家。

先ほどのルイス・フロイスによると、町の規模は安土の2倍ほどもあったそうです。

柴田勝家を主祭神とする柴田神社もありました。

勝家の北の庄城本丸跡と伝えられ、お市も祀られています。

とにかく城印がすごい! 柴田勝家はイメージ通りです。

そしてお市と三姉妹の像や

戦国一の美女・お市にあやかろうとする「美(モテ)祈願」の案内板。

祈願用紙をもらって願い事を書き、この井戸に浮かべて祈願するそうです。

浅井三姉妹を祀る「絆の宮」三姉妹神社もありました。全員銅像になっていて、神社に祀られている家族というのもすごいです!

福井市民や戦国ファンから愛されているんですね。

北の庄城址資料館もお勧め

公園内にある資料館も、なかなか見どころがありました。

夫妻の肖像画はもちろん

辞世の句も。

北陸道が九頭竜川と交わる場所に、勝家が架けた舟橋の鎖。この鎖は、一向一揆で没収した刀を鋳つぶして作ったとも伝わります。

城内の水が乏しいにもかかわらず、敢えて降伏を勧める敵の使者にふんだんに水を使わせ、その後城将と最後の酒宴で水を飲み干して水瓶を長刀でたたき割り、決死の奇襲攻撃で大勝利を収めたエピソードを商品化したおせんべい。

その上に展示されていたのは、勝家の子孫であるとされる日本画家・平山郁夫画伯(平山家初代が、勝家の孫らしい)が描く柴田神社の絵です。一部しか写ってなくて申し訳ありません。

テラスからの眺めはいいし、エアコンが効いていて休憩にも最適でした。資料館はお勧めです!

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