人柄をしのばせる牧野富太郎の写真
NHK連続テレビ小説『らんまん』もそろそろ大詰め。
主人公のモデルとなった高知県出身の植物学者・牧野富太郎のゆかりの地・高知県を昨年訪れる機会があったのですが
今年の春も、ゆかりの地をいくつか訪れる機会がありました。
今回も前回に引き続き、東京都練馬区にある練馬区立牧野記念庭園内にある記念館の紹介です。
ここには富太郎の遺品だけでなく、彼のパネル写真も展示されていました。
はっきり言って、かなりイケメンではないかなと思います。
この年刊行を始めた『植物学雑誌』。富太郎はここで新種の発表など、多くの論文を掲載しました。
彼のライフワークである「植物図鑑製作」の記念すべき第一歩『日本植物志図篇』第1巻。26歳の時の自費出版です。
富太郎と妻の壽衛子(すえこ)。1916(大正5)年頃だそうです。
1927(昭和2)年、後にスエコザサと命名する新種の笹を仙台で発見した時の富太郎(中央)。
彼女が支えてくれるから、富太郎はいろんな場所に採集旅行に行くこともできたのです(上は神奈川県の金時山)。
私が一番面白いと思った写真。大阪府堺市で屋根の上に上り、ツメレンゲを採集する富太郎です。高所恐怖症の人は無理。子供の頃は体が弱かった富太郎は、夢中で野山を歩き回り植物採集をするうちに体が丈夫になり、山や崖、海岸なども平気でどんどん歩けるようになったのです。恐るべし。
晩年の富太郎とその家族。富太郎に抱かれているのが、ひ孫の牧野一浡(かずおき)さんで、この記念館の学芸員です。詳しくはこちらをご覧ください。
当時の牧野家は、こんな建物だったのですね。なかなか立派です。
没後には文化勲章も授与されました。
牧野富太郎博士の書斎「繇條書屋」
今回できれば見たかったのが、牧野富太郎の書斎です。
書斎の名は「繇條書屋(ようじょうしょおく)」。「枝や草が伸び茂る書斎」という意味です。命名したのは、富太郎が尊敬していた植物学者の伊藤圭介。長崎でシーボルトから本草学(博物学)を学び、東京大学の教授に任じられ、日本初の理学博士の学位を受けた人物。「最後の本草学者」でしょうか。富太郎も長命でしたが(享年94歳)、伊藤圭介も99歳で亡くなりました。
ちなみに彼の孫が、トガクシソウの学会発表を巡って、東京大学の矢田部良吉(『らんまん』では田邊彰久)教授とトラブルになった伊藤篤太郎です。
富太郎の書斎は、最初2階にあったのですが、本の重みで玄関の障子が曲がってしまったため、1階に移ったそうです。
蔵書は45,000冊もあったとか。
植物学会では日々新しい発見があるため、自分の図鑑も修正するため改訂版を出したいなど、最後まで仕事のことで頭がいっぱいだったようです。葛飾北斎みたいに、もっともっと生きて仕事をしたかったのですね。ライフワークがあるのは、とてもうらやましいです。
そしてこの書斎なのですが、私が訪れた時にはまだ復元中だったのです。
外観は外からちらりと見ることができたのですが。
反対側はこんな感じ。今日は小石川植物園でも富太郎の展示を見ることができなかったので、重ね重ね運が悪かったのですが、『らんまん』放映前に訪れたから仕方ないかな。ちなみに4月3日から一般公開され、それに先立つ見学会(寄付した人々対象)では牧野一浡さんが説明したようです(詳しくはこちら)。研究者(偉大なオタク?)の脳内が体現できる「繇條書屋」に、いつか行ってみたい!
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