『らんまん』主人公モデル牧野富太郎番外編 理学博士になりたくなかった富太郎 その理由は?

スポンサーリンク



東京帝国大学で勤務する傍ら、65歳で学位論文提出

NHK連続テレビ小説『らんまん』もいよいよ最終週。

9/26(火)の放送では、主人公・槙野万太郎は、友人の波多野泰久から理学博士になることを勧められました。

万太郎がどんな反応をするかは、ドラマを見るしかないのですが、実際の牧野富太郎も友人たちからずっと理学博士になることを勧められていました。しかし彼は、学者に称号などは全く必要がない。学者には学問だけが必要なのであって、裸一貫で仕事が認められれば立派な学者である、学位の有無などは問題ではない、と思っていました。

そのため30年間も理学博士になることを断っていたのですが、1927(昭和2)年、65歳の時(この時はまだ大学に講師として勤務)、周囲の人から「後輩が学位をもっているのに、先輩の牧野が持ってないのは都合が悪いから、是非論文を出せ」と強く勧められ、やむなく学位論文を提出することになりました。

学位論文はなるべく内容豊富でまとまったものが良いというので、従来『植物学雑誌』に連続掲載していた「日本植物に関する研究」(英文)を本論文とし、「東京帝国大学理科大学植物学教室編纂」という名目で実質は富太郎主体で刊行した『大日本植物志』その他を参考として提出しました。論文の題は「日本植物考察(英文)」で、これにより理学博士の称号を得ました。

理学博士になったことを喜ばない富太郎

理学博士になったことを、富太郎の周囲の人々、特に妻の壽衛子(すえこ)はとても喜んだのですが、彼自身はあまり喜んでいませんでした。

彼は小学校中退の学歴で、民間にあって、大学教授としても恥ずかしくない仕事をしたかったようです。

大学へ入った(就職した)ものだから、学位を押付けられたりして、すっかり平凡になってしまったことを残念に思っていると、自伝などにも書いています。

矢田部教授や松村教授(ドラマでは田邊教授、徳永教授)が誤っていると思えばどこまでもその誤りを指摘し、彼らとは師弟関係にもないので、大学の権威主義とは全く無縁でした。そのため矢田部教授にも松村教授にも憎まれてしまいます。

富太郎は自伝で、教授と一介の書生(富太郎)が対抗するというのは、横綱とふんどし担ぎ(相撲で最も位の低い力士の俗称)の取り組みのようなもの。ふんどし担ぎの富太郎には名誉であると考え、大いに奮発したとか。

小学校を自主退学した富太郎と、日本の大学の頂点にいる東京帝国大学教授との論争や対立は、新聞社によって報道され、学歴もなく判官びいきの民衆は富太郎に親近感を覚え、彼は一躍人気者に(世界的な発見もいろいろありましたが)なりました。

学位があれば、何か大きな手柄をしても博士だから当り前だといわれるので、(学位に)興味がないと、富太郎は書いています。

牧野富太郎 人気の秘密は学歴のなさ?

この話を聞いて、思い出したことがありました。

それは、正式な最終学歴としては小学校しか卒業していない田中角栄が、とても人気があったこと。そして、田中角栄も「高等小学校卒」の学歴を1つのアピールにしていたこと。

当時、東大法学部卒などそうそうたる学歴を誇っていた自民党の政治家たちを退けて総理大臣になった彼は「今太閤」と呼ばれ、とても人気がありました。

そういえば、「太閤」豊臣秀吉も、晩年はともかく、若いころは立志伝のヒーローとしてとても人気がありますね。

もし牧野富太郎にそれなりの学歴があったら、同じような業績を残しても、果たして小説やドラマで描かれたでしょうか。「小学校中退」という学歴が、学校制度が確立していく大正時代以降(明治末には小学校の就学率がほぼ100%)には、「ありえないこと」として、余計に注目を集めたのでしょう。

先日千秋楽を迎えた大相撲秋場所で、最後まで優勝を争った平幕の熱海富士関に大きな声援が寄せられたのも、これと似たような構図でしょうか。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です