新宿区矢来公園から、牛込総鎮守の赤城神社へ  偶然遭遇した赤城神社例大祭

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新宿区ゆかりの文化人がここにも

2025年9月21日(日)、私たちの東京旅行も今日が最終日。この日は長女に誘われて、新宿歌舞伎町のTOHO シネマズで朝一番の映画を見て、「新宿区小泉八雲記念公園」(小泉八雲が晩年住んだ、西大久保の家の跡地)を訪れ、新大久保の裏路地にあるレストラン「DAOL」で昼食を取った後、夏目漱石が晩年を過ごした場所に建つ「新宿区立漱石山房記念館」や漱石公園を訪れました。

新宿区に住んでいた文豪・夏目漱石  漱石山房記念館と念願の猫の墓参り

2025年11月18日

新宿区小泉八雲記念公園と、新大久保の裏路地にあるレストランDAOL

2025年11月17日

最後に長女が案内してくれたのが、神楽坂。そこへ行く途中、またまた文化人ゆかりの地がありました。

戦前に活躍した明治~昭和にかけて活躍した日本画家・鏑木清方(かぶらき きよかた)の旧宅跡。

この案内板があったのは、新宿区立矢来公園沿いの道だったのですが、

公園内に彼の旧居跡があったのではなく、公園の東に隣接する一帯にあったようです。

公園内をよく見ると、何やら石碑が! 調べてみるとこの公園は、若狭小浜藩酒井家の下屋敷跡で、『解体新書』で知られる蘭方医の杉田玄白は、この地で誕生したのだとか。

後で知ったのですが、小泉八雲が西大久保の家を購入する前に住んでいた場所も、新宿区。

富久町の自證院、別名「瘤寺(こぶでら)」の近くに住んでいましたが、住職の代替わりでお気に入りの杉の木々が伐採されてしまい、いたたまれなくなったのが西大久保への転居の理由。

夏目漱石の、漱石山房に転居する前の家(『吾輩は猫である』を執筆した、通称「猫の家」)も新宿区かな?と思って調べたのですが、残念ながら、現在の文京区(日本医大同窓会館の敷地)でした。それにしても新宿区は、ゆかりの文化人が多いですね。

赤城神社の例大祭に遭遇! ヒット祈願の絵馬にびっくり

矢来公園から神楽坂までは、徒歩で15分ほど。

いつも神楽坂に行くと、BGMで御神楽が流れているような記憶があるのですが、偶然この日は、正真正銘のお祭りでした。神楽坂にほど近い赤城(あかぎ)神社の例大祭最終日だったのです。

露店もたくさん出ていて、大賑わい!

赤城神社は、牛込総鎮守としてこの一帯を守ってくれる神社なので

地元の人々からの崇敬も篤いようです。祭神は磐筒雄命(いわつつおのみこと)と赤城姫命(あかぎひめのみこと)。

跡で知ったのですが、この社殿は、国立競技場などで知られる有名建築家の隈研吾さん(赤城神社の氏子)がデザインしたもので、「日本で最もモダンな神社」と評されているとか(2010年に再建)。

そういえば狛犬も、かなりモダンなスフィンクスのような姿でした。

これも初めて知ったのですが、境内にある蛍雪天神は、『蛍雪時代』で知られる旺文社が寄進して再建したもの(元の名は北野神社)。祭神の菅原道真は文芸・芸能の神でもあるらしく、あの水木しげる先生もヒット祈願をしたとか。

その後も続々と芸能関係者が、ヒット祈願をしているようで、中央の「正式参拝 新願成就」絵馬には、あの『ばけばけ』主演の高石あかりさんの名前も!(今年のお正月、同じ事務所の人たちと一緒にかな?)。

写真を撮り損ねたのですが、神社の社務所がビルのような建物の1階。そしてこれも後で知ったのですが、この建物には社務所やカフェ、氏子の集会所(あかぎホール)などの他は、定期借地権付き分譲マンション「パークコート神楽坂」になっていたのでした(神社の再建費用を抑えるため)。隈研吾氏のデザインで、神社と調和した建物になっているので、マンションと思わなかった。しかも70年後、この建物は解体されて神社の杜に戻るのだとか。そのため周辺のマンションより割安(販売価格4,230万円~ 別途地代・解体積立金など)。70年後はどんな姿になっているのかな。

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