ニーステロ事件の現場 プロムナード・デ・ザングレ

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冬のリヴィエラ

コート・ダジュールとは「紺碧海岸」という意味で、イタリア国境まで続く地中海一帯を指します。

そのコート・ダジュールの中心都市が、ニースです。

気候は冬でも比較的温暖で、安定しているようですが、私達が訪れた時は、雨は降っていなかったものの残念ながら曇り空。

どんよりとした空のせいか、少し寒そうにも思えます。

こんな日に、海を見てもあまりきれいではないのですが、それでもやっぱり、海に出てみました。

日本では「白砂青松」という言葉で美しい海岸を表現しますが、「紺碧海岸」の中心地・ニースのビーチは、なんと黒い小石の浜でした。

ニースのビーチでくつろぐ場合は、プライベート・ビーチに入り、マットとパラソルを借りるというのが一般的なようです。

確かにバスタオルだけ敷いて寝そべっていたら、すぐに体が痛くなってしまいそう。

空がどんよりしているので、一段と浜の黒さが際立ちます。

『冬のリヴィエラ』という歌がありましたが、リヴィエラとはイタリア語で「海岸」の意味で、特にコート・ダジュールのリゾート地を指すそうです。

「人生って奴は思い通りにならないものさ」とあるように、ニースの海は、その美しい紺碧の姿を、私達に見せてくれることはありませんでした。

イギリス人の散歩道

今でこそリゾート地として名高いニースですが、昔は小石に覆われた寂れたビーチがあるだけでした。

18世紀後半になると、イギリス人がニースで冬を過ごすようになります。

そのころのニースは、北イタリアのサルデーニャ王国が支配していました。

富裕なイギリス人の中には、地中海に沿った海岸遊歩道を建設計画を提案する人もいて、ニース市も建設を大いに奨励しました。

やがてイギリス人の出資金により、海岸遊歩道は完成しました。

そのため当時はニサール語(プロヴァンス語の方言の1つ)でカマン・デイ・アングレ(イギリス人の歩道)と呼ばれたのですが、1860年にニースがフランスに併合されてからは、フランス語でプロムナード・デ・ザングレと呼ばれるようになりました。

これがニースの見どころ第1位の、海岸に沿った全長3.5kmの大通りです。

『冬のリヴィエラ』にあるように、海の反対側には棕櫚(シュロ)の樹がありました。

余談ですが、フランスにはアルザス語やニサール語など保護が必要な各地の言葉がたくさんあり、「消えゆく言語」はヨーロッパでも深刻なのだなと感じます。

2016年ニーストラックテロ事件の爪痕

「2016年ニーストラックテロ事件」とは、2016年7月14日(現地時間)にフランスの南部・ニースの遊歩道プロムナード・デ・ザングレにおいて、花火の見物をしていた人々の列にトラックが突っ込んだ事件である。フランスの検察当局はテロ事件として捜査。この事件により少なくとも84人が死亡し、202人の負傷者が出た

『ウィキペディア』

私達が訪れたのは、この事件が起こってから約半年後。

ニースのテロ事件のことも思い出しながら、プロムナード・デ・ザングレを歩いていました。

ふと目が留まったのが、この建物。

アルベール公園の一角にありました。

公園によくみられるガゼボ(西洋風あずまや)ですが、一目見て、テロの犠牲者にささげられたものだとわかります。

異様な雰囲気に足がすくみそうになりましたが、中に入ってみることにしました。

ガゼボには、事件後約半年が経った今でも、多くの花や捧げもの、メッセージがあふれていました。

目についたのが、内部に山のように積み上げられた、数々のぬいぐるみ。

フランス人にとって特別な祝日である革命記念日の夜、花火を見に来た人々の中には家族連れが多く、たくさんの子供たちが犠牲になったのです。

10名の子供が亡くなり、けがをした子供たちも50人ほどいたそうです。

亡くなった人たちや、残された家族・友人たちのことを考えると、心が痛みます。

忘れてはならない事件だと思いました。

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