天王山山頂には何もないと思っていたのに
2026年1月15日(木)、この日は19:00から京都コンサートホールでコンサートがあるというのに、前夜に見たNHKの『歴史探偵 秀吉のライバル 明智光秀』に影響された夫の希望で、午後から天王山に登ることになった私たち。
山頂近くにあった「自玉手祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ)」に参拝し、この神社の旧名「山崎天王社」から、「天王山」の名が付いたと知りました。ちなみに昔の祭神で、疫病を司る牛頭天王(ごずてんのう)は素戔嗚尊と同一視されていたため、今の祭神で山の神・大山祇神(おおやまつみのかみ)と一緒に本殿に祀られていました。
神社参拝後も、山頂への階段は続きます。
あと0.1kmが遠い!
こんなことで本当にコンサートに間に合うのだろうかと、後悔しながら登ることしばし
やっと山頂に到着です。冬の平日の午後だったせいか、山頂には私たちの他は誰もいません。
そもそも「ここが本当に山頂?」という空間です。見晴らしも良くないし、標高(270mらしい)を書いた標識もない。山頂には山崎城の跡があるらしいと後で知ったのですが、私たちは気が付きませんでした。
城跡の痕跡を教える道標もないし
近くの道を見ても、あまり城跡らしいものが見当たりません。時間も気になるので、探索を断念して山を下りることにしました。
ちなみにグーグルマップだと、こんな位置関係。そして、これも後で気が付いたことなのですが、例の「秀吉の道」の陶板画の最終章「秀吉の「天下人」への道はここから始まった」も、天王山山頂にあったらしいのです。一体どこにあったのかな。
大山崎瓦窯跡
山頂に到着したのは、15:40頃。大山崎駅に到着してから、約1時間ほど経っていました。幸いなことに、下り道もまぁまぁ順調に進むことができ
往きとは違う道を通って、宝積寺(ほうしゃくじ)の境内から外へ。
更に歩いて行くと、登りの時には気が付かなかった「大山崎瓦窯跡」に出ました。秀吉時代よりさらに古い8世紀末~9世紀前半にかけて、平安京造営に必要な瓦を生産していた遺跡です。12基の窯は整然と配置され、大規模な瓦の生産地として計画的に設置されたことがわかるのだとか。完成した瓦は、淀川の水運を利用して平安京に運搬されました。
現在は、大山崎瓦窯跡公園として、遺構が植栽や陶板等で表示されています。
展望広場にもなっていて(3つの川をはさんだ対岸にある男山がよく見えます)
解説板もありました。JR京都線の車窓から、「国指定史跡 大山崎瓦窯跡」という看板がとてもよく見え、乗り継ぎもうまくいって、無事に夕食もコンサートも、予定通りに楽しむことができました。色々アクシデントもあったけど、終わり良ければ全て良しですね!










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