『豊臣兄弟!』ゆかりの天王山を登る4  旗立松と旗立松展望台

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旗立松の伝承

2026年1月15日(木)、この日は京都コンサートホールで19:00から、ウクライナ国立歌劇場管弦楽団の演奏を聴く予定がありました。しかし、この前夜に見たNHKの『歴史探偵 秀吉のライバル 明智光秀』に影響された夫は。昼食後に自宅を出発し、天王山に登って京都の北山のレストランで夕食を食べてからコンサートに行くというのです。

仕方なく彼に付き合って、阪急大山崎駅から天王山中腹の宝積寺(ほうしゃくじ)へ向かいましたが、まだ山道にも入っていないのに、かなりの急坂の洗礼を受け、かなりヘロヘロ状態。

『豊臣兄弟!』ゆかりの天王山を登る2  秀吉の本陣もあった宝積寺

2026年4月26日

『豊臣兄弟!』ゆかりの天王山を登る1  山崎宗鑑ゆかりの地でもあった天王山麓

2026年4月21日

青木葉谷広場を通り過ぎても

『豊臣兄弟!』ゆかりの天王山を登る3  青木葉谷展望広場と中国大返しの陶板画

2026年4月29日

まだまだ急坂が続きます。

道標があったのですが、「天王山山頂」という文字がない! 山頂はまだまだなのかな? ちょっと元気をなくしてしまいました。

とりあえず、後400mほど歩けば、酒解神社という神社があるようです。必死で登り、やっと鳥居を発見!

でもその鳥居の手前に、色々な立札がありました。

中心はこれかな? 秀吉が天王山の戦いの際、自らの旗を松に掲げ、山麓で戦う味方の軍勢を鼓舞したという伝承があり、これがその場所とされているのでしょう。

明治13年成立の『山絵図』に、鳥居や石灯籠、そして松が描かれていて、この場所の松が「旗立松」とされていたことがわかります。

松が枯れるたびに新しく植樹され、現代は6代目(7代目説も)とか。かわいらしい松ですが、地元の人たちに大切にされているのだなと感じられました。

勝敗を決めた天王山?

旗立松の近くには「山崎合戦之地」碑がありました。

石碑の近くにあった案内板をよく読むと、山崎合戦の前哨戦で天王山の争奪戦があり、秀吉軍が勝利したようになっていますが(旗立松のエピソードもこの時の事かな)

天王山争奪戦は、同時代の史料では確認できないとのこと。だから「天王山の戦い」とは言わず、「山崎の合戦」と呼ばれているそうです。でも「ここ一番の絶対的な勝負所」として、「ここが天王山だ」という表現は今でも使われていますね。

個人的には「天王山」と聞くと、「天王山トンネルを先頭に、下り(or上り)〇kmの渋滞」という道路交通情報(関西人なら多くの人が聞いたことがあるのでは?)がまず思い出され、「渋滞との戦いが始まる!」と妙な気合が入ります(車の免許は持ってませんが)。

展望が素晴らしい旗立松展望台

この松の近くにも、展望台がありました。

一段高い場所から見るせいか、なかなかいい眺めです。

NHKの『歴史探偵 秀吉のライバル 明智光秀』で紹介されていたのも、ここからの眺めのように思われます。

風景の解説板もあって、どこに何があるのかわかるのがありがたい!

グーグルマップによると、私たちの足元(地下深く)に、名神高速道路の天王山トンネルがあるようです。

展望台にあった解説板には、先ほど紹介した「天王山争奪戦は、同時代の史料では確認できない」という事実も書かれていました。先ほどの「山崎合戦之地」碑近くの解説板は平成30年。展望台の解説板は平成4年に書かれています。どちらも大山崎町教育委員会の執筆ですが、アップデートされていますね。

私たちの左手の(多分もう少し山の麓)あたりに、黒田官兵衛と羽柴秀長の陣があったようです。

どの辺りなんだろう? 木が茂っていてよく見えない! 仕方がないから、大河ドラマでどう描かれるか期待することにします。ドラマではまだ黒田官兵衛も出てこないし、本能寺も山崎合戦もいつになるのかわかりません。紀州・四国・九州攻めや、大和大納言として大和郡山の繁栄を築く彼の後半生は、とても駆け足になるのかな?

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