「おんな城主直虎」ゆかりの地を訪ねて2 築山殿(瀬名姫)の眠る西来院へ

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浜松城を見学した私達が、次に目指したのが徳川家康正室・築山殿(瀬名姫)ゆかりの地である西来院。

築山殿といえば悪女のイメージも強いようですが、『おんな城主直虎』では直虎の唯一の女友達として描かれており、気は強いけれど気の毒なところも多く、全然悪女じゃないですね。

浜松城から「家康の散歩道」パンフレットの地図を頼りに、頑張って歩いてみました。

普済寺

途中見かけた立派なお寺が、普済寺です。

遠江における曹洞宗の本拠となる由緒ある寺院で、浜松地方に禅宗を広めたのもこの寺院なのだとか。

由緒ある寺院で徳川家康も崇敬していたけれど、三方ケ原合戦の時に浜松城が焼けたと見せかけるため、家康の命令によって火をかけられたという話もあります。

家康は寺に客殿を寄進したとありますが、もしその話が本当なら、謝罪の意味もあったのでしょうか。

ここから目指す西来院まではあともう少し。

途中、このような看板が所々あるので、それを目印に進んでください。

築山殿の眠る西来院

西来院(せいらいいん)も普済寺と同様、曹洞宗の寺院です。

ここには築山殿のお墓がありました。

築山殿は家康の命令により、1579(天正7)年、遠江国敷知郡小藪村(浜松市中区富塚)で家康の家臣である岡本時仲と野中重政によって暗殺(斬殺)され、彼女の息子信康も、その半月後に二俣城(浜松市天竜区)で切腹しています。

信康の享年は21歳とのことですが、築山殿は生年不詳のため、享年はわかりません。

西来院の掲示板には38歳と書かれていましたが、彼女の年齢については多分家康よりも年上ではないか、ということくらいしかわからないのです。

家康は、殺された築山殿をここに、ねんごろに葬ったと言われています。

築山殿のお墓

築山殿のお墓は「月窟廟(げっくつびょう)」と呼ばれていました。

墓石をお堂で保護しているという点では確かに立派なお墓ですが、死に方が悲惨すぎるので、「奥さんを殺しておいて、それで許されるとでも?」と、家康に文句の1つでも言いたくなる人が多いでしょう。

今までは、築山殿と信康を殺害したのは、同盟相手(信康の正室は信長の娘・徳姫)の意向を尊重したためであり(今流行の忖度?)、家康は被害者で、苦渋の選択をしたのだと思われていました。

でも最近では、築山殿と信康は家康と対立していたためという説も、強力になってきました。

確かな文献には、築山殿が武田と内通したとか、唐人の医師と密通したとか、信康を共犯にしたとかいうような記事は全く見あたらないそうです。

ドラマではどういう形で、彼女は殺されていくのでしょう。

小野但馬守政次のように、あっという最期が用意されているのでしょうか。

直虎の還俗といい、小野但馬守政次の設定と言い、今年の大河ドラマは何が起こるかわかりません(そこが面白いのですが)。

西来院境内案内

本堂は普済寺同様、戦災で焼失してしまったために戦後に再建されたものですが、本堂の扉には葵の紋が飾られていました。

浜松市で最大最古の六地蔵尊は、約300年前の建立だとか。

境内には歌碑がたくさんありました。

松島十湖や種田山頭火の歌碑だそうです。

西来院の長藤

樹齢約200年近くの立派な藤でしした。

この時(4月30日)は、残念ながら藤の花は盛りを過ぎていましたが、例年4月下旬から藤の花の時期だそうですので、またそのころに訪れてみるのもいいかもしれません。

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