首里城の無料見学区域が面白い! 守礼門や世界遺産・園比屋武御嶽石門の他にも見どころ多数

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2018年12月1日(土)、那覇を訪れた私たちは、ノボテル沖縄那覇にチェックインした後、最初の目的地首里城へ向かいました。

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2018年12月4日

最初はバスで行こうかなと思ったのですが、なかなかバスが来なかったので、タクシーで行くことに。

沖縄のタクシーは小型車初乗りが500円と、我が家周辺の小型車660円に比べ、かなり安くてびっくり!

こんなことなら最初から、さっさとタクシーに乗ればよかったです。

首里城無料見学区域の見どころ

首里城公園の地図。思っていたよりもとても広く、無料見学区域でも、なかなか見ごたえがありました。

1 守礼門

二千円札にも描かれている、首里城の(日本風に言えば)大手門。

中国風の牌楼(はいろう)門で、「守禮之邦(しゅれいのくに)」という扁額が掲げられています。

「守禮(礼)」とは、皇帝に対する礼儀のこと。

実はこの門は、中国からの冊封使(さくほうし=新たに即位する属国の王に、爵位を与える皇帝の使者)を出迎えるために造られたものでした。

沖縄戦で焼失しましたが、1958年に再建され、琉球王国のシンボルにもなっています。

冊封使が来ると、琉球国王以下高官たちが守礼門まで出迎え、三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい ひざまずいて3回額を地面に打ち付ける礼を、3セット繰り返す)をとっていました。

中国の属国になるということは、こういうことだったのですね。

2 園比屋武御嶽石門

園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)の石門は、1519年に第二尚氏王統第三代王尚真王時代に築かれた門で、園比屋武御嶽の礼拝所(神社なら拝殿にあたる)として使用された場所。

2000年12月、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、世界遺産に登録されている場所です。

石門の背後にあるこの森が、園比屋武御嶽。御嶽(うたき)とは、祭祀を行う聖域のことで、ここが神社なら本殿にあたる場所。

琉球国王が、各地を巡航する旅に出る際には、必ず拝礼した場所だそうです。

王族の女性が任命される最高神女(ノロ)である聞得大君(きこえおおぎみ)が、就任するときにまず最初に拝礼する、国家の聖地でした。

王家(尚氏)ゆかりの島・伊平屋(いへや)島の神「田の上のソノヒヤブ」を勧請し、祭っているのだとか。

そのためか、「この神に祈れば必ず応じてくれる」と、琉球各地の名所旧跡、御嶽、儀礼や官職、諸事の由来、年中行事などを記した地誌「琉球国旧記」に記されているそうです。

もともとこの森はもっと広かったようですが、現在は那覇市立城西小学校の敷地となっていたりして、残されているのはごく一部。

ここも沖縄戦で荒廃しましたが、復元、解体修理されました。

3 歓会門・瑞泉門・漏刻門

歓会(かんかい)とは、中国からの冊封使を「歓迎する」という意味。すごく中国に、気を使っています。

首里城の城郭内へ入る第一の正門です。ここも中国風ですね。

この門をくぐって坂道を上ると、瑞泉(ずいせん)門(上)、さらに進むと、漏刻(ろうこく)門です。

この門の上のやぐらに水槽を設置し、水が漏れる量で時間を計ったと言われています。

どの門にも、両脇にシーサーがいました。

4 日影台

漏刻門の正面に置かれているのが、「日影台(にちえいだい)」という日時計(復元)。

首里城では日時計を用いて正午およびその前後の時刻をはかり、漏刻で詳しい時刻をはかったようです。

十二支が刻まれた時刻板(石の円盤)に銅製の棒が取り付けられ、その日影によって、時刻を図るようになっていたと推測されています。

日本の城郭では見ない施設なので、とても珍しく感じました。

5 万国津梁の鐘

万国津梁(ばんこくしんりょう)の鐘は、1458年に鋳造され、首里城正殿の前に掛けられていた(具体的な設置場所は不明)銅製の鐘です。

実はこれはレプリカで、本物は沖縄県立博物館に所蔵されているとのこと。

万国津梁とは「世界の架け橋」という意味。

「琉球王国は南海の美しい国であり、朝鮮、中国と日本との間にあって、船を万国の架け橋とし、貿易によって栄える国である」という主旨の銘文が、鐘に刻まれています。

海洋国家・琉球王国の心意気が、見事に表現されていますね。

6 高台からの眺望と石垣

日影台の辺りはかなり高くなっていて、町並みや海まで見渡すことができました。

港を見張っていたのかな?

首里城でとても気になったのが、石垣が美しい曲線を描いていること。

姫路城や大坂城など、他の城郭では、こんな石垣は見たことがありません。

『ブラタモリ 沖縄・首里』によると、首里城の石垣は、沖縄石灰岩という、サンゴや貝の死骸がもとになる加工しやすい石なのだとか。

そのため石積み技術も発達し、表面もきれいに整えられています。

戦国時代の城郭によくみられる野面(のづら)積みのような、ワイルドな石垣とは全く異なります。

城の周囲をぐるりと取り囲む石垣には、本土とはまた違う、琉球王国独自の美しさがありました。

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