家康側室ゆかりの京の寺(前編)  大工棟梁中井家の菩提所・長香寺を開いた謎の側室 

スポンサーリンク



初めて見た提灯の専門店

2023年12月13日(水)、京都府で全国旅行支援が再開されている(きょうと魅力再発見旅プロジェクト)ということを偶然知り、それを利用してTHE POCKET HOTEL京都四条烏丸に、初めて1泊しました。

THE POCKET HOTEL京都四条烏丸宿泊体験記(後編)  清潔な共有部分とドトールでの朝食

2023年12月24日

THE POCKET HOTEL京都四条烏丸宿泊体験記(前編)  コスパの良い新タイプのホテル  

2023年12月23日

翌朝ホテルをチェックアウトして、最初の目的地・市比賣(いちひめ)神社へ徒歩で向かったのですが、

途中いろいろ面白い発見がありました。柳馬場通をどんどん南へ歩いて行くと

突然現れたのが、提灯の専門店(奥川提灯店)! 提灯の店を見たのは、生まれて初めてです。

京都には寺社だけでなく、飲食店などに提灯が飾られていることも多いですが、こういう場所で専門の職人さんが作っているのですね。京都はものづくりの町でもあるなと思いました。

偶然見つけた中井正清ゆかりの寺・長香寺

最初は柳馬場通をひたすら南下する予定だったのですが

佛光寺の立派な御影堂(みえいどう)門に心惹かれ

ついつい境内へ(写真は本堂阿弥陀堂)。

境内を出た後、今度は高倉通を歩いていると、偶然、こんな石柱を見つけました。「京都大工頭 中井家菩提所」と書かれています。長香寺という浄土宗の寺院で、松原通をさらに南下した場所にありました。

「中井正清」と言えば、以前NHK『歴史秘話ヒストリア』で紹介されていたけれど、地震のニュースで中断してしまったので、あまりよく覚えていない。

調べてみると、法隆寺宮大工の子で、関ケ原の戦い後から家康の建築計画に参画。

江戸城や駿府城(家康の隠居所)、名古屋城など徳川家の城郭の設計・工事監理(工事が設計図書通りに実施されているかの照合作業)・建築資材や労働者の算出などを一手に引き受け、各地に点在する大工の集中と組織化、作業の分離・分担により短期間での完成を実現したのだとか。すごい人物だったのです!

中井家の墓地訪問  でも中井正清のお墓がわからない!

ここで見つけたのも、何かのご縁。

早速行ってみることにしました。こちらは本堂。どうやら非公開の寺院のようです。

「菩提所」というからには、中井家のお墓があるのかなと思って、墓地にお邪魔してみると

いきなり入り口近くに立派なお墓がずらり! 墓石をよく見ると「中井」と書かれているので、どうやらここが、中井一族の眠る一画のようです。でも、中井正清のお墓はどれなんだろう?

この、大きなお墓がそうかな? 家康に気に入られ、内裏造営で従四位下の官位まで授けられているから、多分これだと思うのですが(右か左のどちらか)確証がありません。お墓の裏に回って文字を探せば、どこかに手掛かりがあったかもしれません。粘りが足りない!

長香寺を開いた謎の家康側室「おこちゃ」

この寺は、徳川家康の側室(侍女とも)「おこちゃ」によって開かれ、寺の名は、彼女の法号長香院に因んでいるそうです。

伽藍の建立には、京都所司代板倉勝重、大工頭中井家の初代正清、金座の後藤庄三郎など幕府の役職が参画したというから、かなりの重要人物だった可能性もあります。

ところがその「おこちゃ」(法号長香院)が、どんな人かさっぱりわかりません。『ウィキペディア』にも載っていない! 当然『どうする家康』にも出ていませんでした。

彼女は寺院建立を希望しますが、その翌年1607年の駿府城火災(大奥の布団部屋から出火)で亡くなってしまったそうです。大御所になった家康晩年の側室だったのかな。不慮の死を遂げた彼女のために、幕府の役職たちが、彼女の遺志を継いで寺院を建立したのかもしれませんね。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です