家康側室ゆかりの京の寺(後編)  阿茶局の墓所がある上徳寺 世継地蔵でも有名!

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偶然見つけた、阿茶の局ゆかりの寺院

2023年12月13日(水)、京都府で全国旅行支援が再開されている(きょうと魅力再発見旅プロジェクト)ということを偶然知り、それを利用してTHE POCKET HOTEL京都四条烏丸に、初めて1泊しました。

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2023年12月24日

THE POCKET HOTEL京都四条烏丸宿泊体験記(前編)  コスパの良い新タイプのホテル  

2023年12月23日

翌朝ホテルをチェックアウトして、最初の目的地・市比賣(いちひめ)神社へ徒歩で向かったのですが、偶然、家康の側室「おこちゃ」が開いたという長香寺を発見! 江戸城や名古屋城などを手掛けた家康お気に入りの大工の棟梁・中井正清から続く、中井家菩提所でもありました。

家康側室ゆかりの京の寺(前編)  大工棟梁中井家の菩提所・長香寺を開いた謎の側室 

2023年12月25日

さらに南へ進み、五条通も通り抜けて目指す市比賣神社に近づいたところで、また気になる寺院を見つけました。

上徳寺という浄土宗寺院ですが、石柱に「阿茶の局墓所」と書かれています。阿茶の局と言えば、『どうする家康』にも登場する、家康晩年の側室の中でも外交や参謀的役割を担った異色の女性。これは絶対、行くしかない!

まず本堂に参拝(本尊は阿弥陀如来)。この寺院は、阿茶の局が、1632年に38歳で亡くなった徳川家康の養女(家康の異父弟の子)・阿姫(くまひめ)とその母の菩提を弔うために建てたものでした。初代住職となったのは、阿茶の局の叔父だったとか。

なお、阿姫は山内一豊の養子となった2代土佐藩主・山内忠義と1605年に結婚し、2男1女を生んでいます。

本堂より参拝者が多そうな「世継地蔵」

境内には本堂の他、とても立派な「世継地蔵堂」がありました。

江戸時代から、安産と子授けにご利益があったらしく、孝明天皇の典侍(ないしのすけ=女官)中山慶子(よしこ)もこの地蔵堂を参拝し、無事に明治天皇を出産しました。確かにご利益がありそうです。

「ねがいの塔」と書かれた宝篋印塔もあります。心しずめて塔の前に立ち、願いを念じて塔を右回り(時計回り)に3回廻って参拝すれば、諸願成就するらしい。まず心をしずめようと塔の前に立ったら、夫が構わずどんどん先に行ってしまったので、参拝は諦めました。

阿茶の局のお墓を発見!

諸願成就のための参拝は諦めましたが、阿茶の局のお墓は墓地の入口のすぐそばにあり、案内板もあったので、私でも簡単に見つけることができました。

さすが有名な阿茶の局のお墓だけあって、立派なもの。

案内板を読んでわかったことですが、彼女は83歳で京都で亡くなったのだとか。数え年75歳で亡くなった家康より、さらに長生きだったのです。

馬術や武術に優れ、才知にも長けた彼女は家康に信頼され、戦場でも家康に供奉したけれど流産してしまい、その後遂に、家康との間に子供は授かりませんでした。その代わり、お愛の方(西郷局)の死後、彼女の産んだ秀忠と松平忠吉を養育しています。

家康の死後、秀忠と江の末子・和子が後水尾(ごみずのお)天皇のもとへ入内する際には、母親代わりの守役を務め、天皇から「従一位」の官位を賜りました。これもすごい! 北政所と同じです。

『どうする家康』の最終回では、本多正信さんと同様、「老い」を感じさせながらも家康を支えていた阿茶の局。家康が亡くなっても頑張っていました。やっぱり頼もしい! 彼女を見習って頑張りたいです。

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