そぞろ歩きが楽しい平戸オランダ商館通り
2024年2月24日(土)、初めて平戸を訪れた私たちは、午前中に平戸オランダ商館や平戸城を見学し、念願のひらめ料理も堪能することができました。
昼食後は、平戸のまち歩き再会。昼食を摂った旬鮮館から、平戸港交流広場や歴史の道を歩き
午前中にも歩いた、オランダ商館通りへと出ました。
とても個性的な、美しい店が並んでいます。
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平戸限定という、ステンドグラス柄のハンカチ(ステンドハンカチ)。平戸らしい異国情緒があふれています。
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こちらの店は手作りの民芸品店。「鬼洋蝶(おにようちょう)」という、平戸独特の凧も飾られていました。同じ長崎県五島の「バラモン凧」と似ています。
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こんな応援看板も見つけました。故郷の人たちの応援は、彼らにとってはとても心強いことでしょう。
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どこか懐かしい風情が漂う店もあれば
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見事に「かぶいている」店もあってびっくり! 江戸時代の芝居小屋みたいな雰囲気ですが、パチンコ屋です。景観には配慮しているようですね。
平戸イギリス商館跡
しばらく行くと、このような建物が見えてきました。
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壁に標識があり、それによると1613年に初めてイギリス東インド会社の商船が平戸に入港し、最初は中国人商人の屋敷を借りて商館にしていたようです。
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やがて倉庫などを徐々に拡張していきましたが、競争相手のオランダが手ごわく、平戸の商館同士でも(距離的にはかなり近いのに)対立が発生していたようです。
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徳川2代将軍秀忠はキリスト教弾圧を徹底させるため、ヨーロッパとの貿易港を平戸と長崎に限定するなど自由な貿易を制限。イギリスと幕府の仲介役だったウィリアム・アダムスも亡くなり、1623年にはモルッカ諸島(インドネシア)のアンボイナ島にあったイギリス東インド会社商館がオランダに襲われ、商館員が全員殺害されるというアンボイナ事件が起こります。東アジアでイギリスの影響力は弱体化し、同年平戸のイギリス商館も閉鎖されました。
32年間もの間活動していた平戸オランダ商館に比べると、10年間しか活動できなかった平戸イギリス商館の影は、やはり薄いのでしょうか。
ウィリアム・アダムス終焉の地
平戸イギリス商館跡の碑の近くには
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ウィリアム・アダムスこと三浦按針(あんじん)の終焉の地という石碑があります。
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石碑によると、1620(元和6)年に彼は、居宅としていた木田弥次右衛門宅で亡くなりました。
彼は平戸オランダ商館よりも安い賃金だったけれど、平戸イギリス商館の仕事を手伝いました。しかし日本とイギリスとの間では公平な立場であらねばならないという気持ちから、この木田家で生活していたのです。享年57歳。平戸で亡くなったということは、平戸に彼のお墓があるのかな? これは行ってみなければ!
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