クラブツーリズムバスツアー3 越前の苔寺・白山平泉寺の緑のじゅうたん

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白山平泉寺は「越前の苔寺」! しかも無料!

クラブツーリズムの大阪発日帰りバスツアー「2日間限定のクラブツーリズム特別企画!宝物館特別公開と二胡ミニコンサート開催!越前の苔寺!白山平泉寺と越前大野城」で、初めて白山平泉寺(福井県勝山市)を訪れました。

宝物館は会社の手違いで公開されていませんでしたが、美しい緑の苔が続く参道にびっくり!

魚類の持ち込みが禁止された「精進坂」を上がり、一の鳥居をくぐると、その光景は現れます。

「苔寺」というと京都の西芳寺(さいほうじ)が有名ですが、こちらは事前申し込みが必要で、拝観料(冥加料)は3,000円~となっています。

詳しくは「京都府観光ガイド 西芳寺(苔寺)」サイトをご覧ください。

一方こちら白山平泉寺は事前予約も必要なく、なんと拝観料無料! これはすごいなと思いました。

司馬遼太郎さんが絶賛した道

勝山市観光ガイドボランティアの水上さんの説明を聞きながら、本社への参道を歩きました。

両側にそびえるのは、樹齢350年以上の杉の大木。

ここは司馬遼太郎さんが、『街道をゆく18 越前諸道』の中で、

「十余年前、ここにきたとき、広い境内ぜんたいが冬ぶとんを敷きつめたようにぶあつい苔でおおわれていることに驚いた。苔の美しい季節であったからこそそう思ったのだが、京都の苔寺の苔など、この境内に広がる苔の規模と質から見れば、笑止なほどであった」

と絶賛されたそうです。

いただいた「白山平泉寺散策マップ」によると、現在杉の古木が増え、日当たりがよくなっているとか。

そのため、司馬さんが訪れた時よりも、苔の状態は悪くなっているとのことでした。

でも、普段苔などほとんど目にすることのない都会の片隅から来た私達には、苔の状態のいい悪いが見分けられるわけもありません。

雨上がりの苔は美しい!

福井県地方では先週金曜日に雨が降り、その2日後の10日8日(日)は、とても緑が鮮やかに見えました。

ふかふかしているようで、本当に、緑のじゅうたんが庭に敷き詰められているようです。

こんなところが無料で見学できるなんて、本当に白山平泉寺は太っ腹。

ここでごろりと横になって昼寝をしたら、きっと気持ちがいいだろうなと思いました。

緑と木漏れ日と、観光客がそんなにいないこともあって、とても幻想的な雰囲気です。

苔にはたくさんの種類があるようですが、主な苔の種類は、スギゴケやヒノキゴケだそうです。

上の写真は、主にヒノキゴケのようですが、下の写真はなんという苔かな?

二の鳥居

額の上に屋根がある「権現造」というスタイルで、神仏習合時代の独特なものだそうです。

日本には、ここだけにしかないのだとか。

白山三所大権現の大額は、中御門天皇の皇子で天台座主(ざす)であった公遵法親王の筆になるもので、その額を守るために大きな屋根がつけられたのだそうです。

拝殿

寄棟檜皮葺で、一向一揆によって全焼する以前は、46間(およそ83m)あったと言われており、京都の三十三間堂より大きな建物だったそうです。

拝殿の中には十数面の絵馬があり福井藩主松平家の奉納品が多く、ほとんどが勝山市の文化財に指定されています(今回は見学できませんでした)。

石造りの宗教都市

拝殿と本社との間には急な石段があり、危険なので下りは別の道だと言われました。

ついつい苔の美しさにばかり目を奪われてしまいますが、国内最大の中世石畳の道がここに残っていたのでした。

1985(昭和61)年には「日本の道100選」にも選出されています。

数千人の僧侶が生活していたという中世の白山平泉寺は、日本では珍しい石で築かれた宗教都市。

石は九頭竜川の河原の石を、僧侶たちが運んで普請したものと言われています。

日本の本格的な石垣は安土城が最初とされていますが、白山平泉寺の方が古く、当時の栄華をしのばせています。

石段の両側には大きな石垣もあり、室町末期のころ、勢力争いをしていた2人の僧が、力を誇示するために競って巨石を運ばせた結果だとされています。

本社

1795(寛政7)年に第12代福井藩主松平重富により再建されたものです。

総欅(けやき)造で外観は白木造ですが、内部は美しく彩られているそうです。

この本社の扉は、33年に一度しか開かないのだそうで、次にこの扉が開かれるのは、2025年です。

龍の彫刻が素晴らしいと思いました。

硬い欅で造られた本社の壁面には、見事な浮彫が施されており、技術の高さがわかります。

名のある彫刻家が、福井藩主の命令で彫りあげたのでしょうか。

白山へと続く道

白山とは3つの峰の総称で、本社は御前峰(ごぜんがみね)、大汝峰(おおなんじがみね)が越南知社(おおなんじしゃ)、別山(べつざん)が別山社(下の写真)として祀られています。

別山社を曲がると現れるこの道を更に行くと、遠く白山へと続く道(越前禅定道)に出ます。

この向こうには、ここで修行をしていた楠木正成の甥によって建立された、楠木正成の供養塔もあるのですが、残念ながら時間の関係で行くことができませんでした。

この他にも、中世の門や土塀、石畳の道などが復元されている南谷発掘地など、面白そうな場所がたくさんあるのですが、これも時間の関係で行くことができませんでした。

帰りは急な階段ではなく、石畳の斜面を下りながら駐車場へ。

緑たっぷりの美しい苔の庭と、白山信仰の歴史を堪能できた素晴らしい場所でした。

またいつか、時間制限のない自由な旅で訪れてみたいです。

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