クラブツーリズムバスツアー2 白山平泉寺境内にあるミステリアスな世界

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現地ガイドさんと巡る白山平泉寺

クラブツーリズムのバスツアーで、初めて訪れた白山平泉寺(福井県勝山市)。

現地で見どころを案内してくださるのは、勝山市観光ガイドボランティアの水上さんです。

観光できる時間は70分しかなくて少々慌ただしいですが、見どころ満載の境内へ出発!

東尋坊井戸跡 平安時代末期の火曜サスペンスドラマ

東尋坊といえば、福井県坂井市三国町にある、日本海に突き出た見事な絶壁(まだ行ったことがありません)。

少々変わった地名だとは思っていたのですが、これは白山平泉寺にいた僧侶の名前。

平安時代末期(院政期)から戦国時代にかけてが白山平泉寺の絶頂期で、数千人もの僧侶がいたと言われています。

これだけたくさんの僧侶がいれば、中には少々困った人物もいるのが世の常です。

平安時代末期(1182年)、乱暴者で皆から嫌われていたとも、恋愛問題で(!)恨みを買ったともいわれる「悪僧」東尋坊が、三国湊で行われた花見会の帰り、酒に酔わされてこの絶壁から突き落とされました。

しかし東尋坊はただでは死なず、彼が波間に沈むと東尋坊の怨念で辺りは一転大嵐となり、自分を突き落とした首謀者の恋敵(彼も僧侶です)を絶壁の底に引きずりこんだのです。

それだけでも恨みは晴れず、東尋坊が突き落とされた4月5日には、毎年東尋坊は嵐となり、風雨はいつも白山平泉寺のある東の方向を目指しているとか。

火曜サスペンスドラマも真っ青の展開です!

白山平泉寺の駐車場近くに、東尋坊屋敷の跡があり、井戸も残されていました。

この井戸が、東尋坊が突き落とされたとき、真っ赤な血の色に染まったとか(怖)。

その後も井戸に米ぬかを入れると、東尋坊が突き落とされた三国の海に浮かび上がると伝えられています。

井桁のない素朴な井戸には今も水が溜まっていますが、こんな話を聞くとちょっと不気味ですね。

泰澄大師廟と弁慶の足跡

奈良時代の僧侶で、白山を開山し、白山平泉寺を開いた泰澄の墓です。

室町時代に造られたものなので、ここに彼の遺骨があるというわけではなく、供養塔の部類でしょうが、なかなか立派なお墓でした(高さ1m47cm)。

兄の源頼朝に追われ、山伏姿で奥州への逃亡を続ける源義経と弁慶ら一行が、この白山平泉寺に立ち寄り、観音堂に一泊。

その時についた弁慶の足跡という窪みのある石が、お墓の前にありました。

特にとびぬけて大きいこともなく、「和田アキ子の足の方が大きいのと違うか?」というツアー参加メンバーからの疑問の声も。

弁慶が白山平泉寺の鐘を鳴らし、音が鳴りやむまでに鳴鹿(永平寺町)まで走ったという言い伝えから、この足跡を踏むと、走るのが速くなるそうです(音速より速いかも?!)。

天から降ってきた隕石に祈る縁結び 結(むすび)神社

この小さな神社の御神体は、天から同時に降ってきた2つの大きな隕石(!)と言われています。

縁結びの神様だそうで、絵馬もたくさん飾られていましたが、隕石と縁結びなら「組紐」もお供えしたらどうかなと思いました(『君の名は。』ネタです)。

精進坂

昔はこの坂より上は、魚の持ち込みは禁止されていました。

一の鳥居へと向かうこの坂は、菩提をもとめて煩悩を断じ身を清め心を慎むということで、精進坂と呼ばれています。

またこの坂は昔は52段あり、1段の高さが高くて上るのが大変だったとか。

現在は84段となり、上りやすくなっています。苔がとても美しい階段でした。

旧玄成院(社務所)

1574年、一向一揆から逃れてきた織田信長の家臣・朝倉景鏡(かげあきら)をかくまったため、白山平泉寺は一揆勢に焼き討ちされ、全山焼失。

その時、難を逃れた顕海和尚が、9年後戻ってきて再興したのがこの玄成院です。

ここの庭園は国の名勝に指定されていて、1530年頃、室町幕府の管領細川高国によってつくられたと言われています(入園料50円!)。

私達は残念ながら庭園を見る時間がなく、御朱印をいただきたい人は、ここで預けて帰りに受け取るようにと言われました。

女神降臨! 御手洗(みたらし)池

ガイドの水上さんが、白山平泉寺の始まりの場所として、強調されていた場所です。

奈良時代の僧侶・泰澄が717(養老元)年、白山登拝の途中、この林泉を発見しました。

この池の中央にある影向岩(ようごういわ)に向かってお参りしていると、一人の女神が現れました。

この女神は権現(ごんげん)であり、仏が仮に姿を変えて現れたものでした。

女神は、「私の本当の姿は、白山の頂上にある。早く登ってきなさい」と言われ、泰澄はその女神の導きにより白山の頂上を極めることができたそうです。

女神のお告げにより、この地に社を建てたのが白山平泉寺(神仏習合のため平泉寺白山神社とも)の始まりです。

この池は昔、平清水と呼ばれており、平泉寺の名前の由来はここからきているとか。

池は今でも水が湧き出しており、静まり返っていて、美しい女神が出現したと聞いても全然違和感を感じませんでした。

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