『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』の舞台西安 空海と恵果ゆかりの青龍寺

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密を盗みに来た空海

映画『空海−KU-KAI− 美しき王妃の謎』は、夢枕獏さんの原作小説『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』とは登場人物は一部同じだけれど(それでも橘逸勢がいない!)、ストーリーはほぼ別物。

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中国人監督による作品で、まず中国で公開された(そして大ヒット)ためか、原作の大きなテーマなのに削除されたものもかなりありました。

その1つが、空海は「密(密教)を盗みに来た」という設定。

私にすれば、野心家空海をこれ以上端的に表す言葉もあまりないと思っているのに、「盗まれる」側の中国サイドからすれば、何かざわざわした、不穏なものを感じてしまう表現だから、カットされたのでしょうか。

映画の冒頭では、青龍寺への入門も断られ、がっかりした空海が帰国を考えたりするなど、かなり原作とも(多分史実とも)異なっているのではないかなと思いました。

夫のように、この映画を空海の伝記映画だと思って見に来られた方々の誤解を解く必要もあるかなと思い、私なりに、長安での空海の活躍についてまとめてみました。

戦略家空海 超効率的な密教伝授

804年12月下旬に長安に入った空海は、まだ無名の一沙門(しゃもん=男性出家者)。

翌年2月、西明寺(さいみょうじ)に落ち着いた空海は、まず醴泉寺(れいせんじ)においてインドから入唐していた高僧の般若(はんにゃ)から、サンスクリット語(梵語)を学びます。

密教を学ぶためには、古代インドの言語であるサンスクリット語を学ぶのが必須だと、空海は見抜いていたためです。

5月になると空海は、密教の第七祖である青龍寺の恵果(けいか)和尚を訪ね、以降約半年にわたって師事することになりました。

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恵果は空海が過酷な修行をすでに十分積んでいたことを初対面の際に見抜き、即座に密教の奥義伝授を開始し、空海は6月13日に大悲胎蔵の学法灌頂(かんじょう)、7月に金剛界の灌頂を受けました。

灌頂とは、頭頂に水を灌いで諸仏や曼荼羅(まんだら)と縁を結び、正しくは種々の戒律や資格を授けて正統な継承者とするための儀式のこと。

さらに8月10日には伝法阿闍梨位の灌頂を受け、「この世の一切を遍く照らす最上の者」(=大日如来)を意味する遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂名を与えられました。

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恵果との対面から僅か3ヶ月で、彼の正統後継者となることができたのです。

この年12月に恵果が没すると、空海は翌年3月に長安を出発。10月に博多津に到着しました。

何千人もの弟子がいる恵果が、自分の後継者として、初対面のしかも(夢枕獏さん流に言うと)倭国出身の空海を選んだのはなぜでしょう?

多分数回言葉を交わしただけで、サンスクリットの知識や密教の深い知識を空海が理解していることがわかったのでしょうが、きっと空海の事前自己アピール(手紙のやり取り)があったり、周囲からの口コミ効果を考えたり、戦略的な動きをしていたのではと思われます。

普通なら20年かかる唐での留学を僅か2年で、しかも大成功させた空海。

一見遠回りのように見えても、大局的な視野から目的への最短距離を理論的に考え、自己アピールやメディア戦略(?)も駆使していたかもしれない空海は、やっぱり只者ではありません。

現代でも(特にビジネスにおいて)、彼に見習うべき点は多そうです。

現代の青龍寺

2009年3月末、西安旅行で青龍寺を訪れることができました。

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映画ではとても大きな寺院として、巨大な仏像が並んでいた青龍寺ですが、私達が訪れた青龍寺は、特に大きな寺院だという印象は感じませんでした。

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それもそのはず、唐が滅びると青龍寺も滅び、今の青龍寺は現代に復興されたものだそうです。

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夢枕獏さんの『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』を読んですぐの西安旅行だったので、青龍寺を訪れることができて感激でした。

寺の庭に、「楊貴妃」という梅が咲いていたので大喜び!

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空海ゆかりの寺のため日本人観光客&参拝客も多く、空海記念碑がありました。

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また元四国霊場会会長の蓮生善隆氏(善通寺法主)により四国八十八箇所の零番札所と名付けられたということです。

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日本人が多いため、「お賽銭」という文字があったり、寺院内の図書コーナーに司馬遼太郎さんの『空海の風景』があったりしてびっくり!

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平安初期も、現代も、日本と中国の双方で異彩を放ち続けている空海なのでした。

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