クラブツーリズムで行く明延鉱山・神子畑選鉱遺跡と猿尾滝5

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7月16日(月)、クラブツーリズムで行った大阪梅田発の日帰りツアー

明延から神子畑を繋いだ「一円電車」に乗車 往時の姿で歴史を伝える・・・「明延鉱山」「神子畑選鉱場跡」と名滝「天滝」

の体験記5回目(最終回)です。

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2018年7月30日

クラブツーリズムで行く明延鉱山・神子畑選鉱遺跡と猿尾滝3

2018年7月28日

クラブツーリズムで行く明延鉱山・神子畑選鉱遺跡と猿尾滝2

2018年7月27日

クラブツーリズムで行く明延鉱山・神子畑選鉱遺跡と猿尾滝1

2018年7月27日

神子畑(みこばた)の歴史

一円電車に乗った私たちが、次にバスで向かったのは、神子畑地区。

兵庫県朝来(あさご)市に位置しています。

川岸にたくさんの解説板が設置されていました。

ここでは2名のボランティアガイドの方が、神子畑の歴史について説明してくれました。

神子畑にはかつて銀と銅を算出する鉱山があり、戦国時代に栄えましたが、同じく但馬国にある生野銀山(兵庫県朝来市)の繁栄におされ、鉱石の出産量も不安定だったため一度休山。

1878(明治11)年、明治政府が銀鉱脈を発見し、1919(大正6)年に閉山した後は、北西6kmにある明延(あけのべ)鉱山(兵庫県養父(やぶ)市)から運び込まれた鉱石を選別する選鉱場となり、規模も産出量も「東洋一の選鉱場」と謳われるようになったのです。

明延はあの方向かな? よく考えると但馬って鉱山が多いです。ジオパークもあるし、地理&地学好きには聖地かも。

神子畑鋳鉄橋(みこばたちゅうてつきょう)

1883(明治16)年、神子畑鉱山の鉱石運搬のために道路が必要となり、神子畑から生野間に16.2Km、幅3.6mの馬車道(鉱山道路)が建設され、多くの橋が架けられました。

この馬車道が神子畑川を横切るときに架けられたのが、神子畑鋳鉄橋です。

全ての設計・施工は日本人ですが、生野鉱山開発にあたったフランス人技師団(あのギュスターヴ・エッフェル事務所に関係あり?)の技術指導の結果によるところが大きいとのこと。

この橋の下のカーブは、エッフェルっぽいかな?と男性ガイドの山内さんの弁。

神子畑鋳鉄橋は日本に現存する鉄橋としては三番目に古いものですが、一番目の大阪の心斎橋は錬鉄製であり、二番目の東京の弾正橋は錬鋳混用でなので、この橋は全て鋳鉄製の橋としては日本最古の橋としてとても貴重なもの。

実際に渡ってみると、小さな橋ではあるのですが、橋のデザインが優美で、とても美しい橋でした。馬車道の跡がわかります。

橋の欄干に触ることもできます。ちょっと感動。

神子畑選鉱場跡

この橋だけでもかなり長時間説明して下さいましたが、再びバスに乗って、いよいよメインの神子畑選鉱場跡へ。

ここは最近の廃墟ブームや、近代産業化遺産登録などで、とても脚光を浴びているそうですが、私はバスツアーで初めてこの名を知ったのです。

バスから降りると、山の斜面に不思議な廃墟がありました。

パンフレットの写真がすごい(ドローンから撮影?)。

これが選鉱場跡で、22段のひな壇状に施設が並び、上層から鉱石の破砕→比重選鉱→浮遊選鉱→脱水などを経て、生野、直島(香川県)、秋田の三菱系製錬所に運搬されます。

左の線路は、選鉱場を上下に行き来したインクライン(ケーブルカー)。頂上にあるのは操作室です。一度乗ってみたかったな。

パンフレットのイラストの方がわかりやすいでしょうか?

ガイドさん達が、私達に銅鉱石の実物を見せてくれたり、選鉱について説明してくれました。24時間創業の「不夜城」だったそうです。

これだけでもずっしりと重いです!

神子畑での選鉱の詳しい解説については、こちらをご覧ください。

百尺シックナー

この不思議な建物は、選鉱の最終工程である脱水や濃縮が行われた非濾過(ろか)分離装置・シックナー。

直径30mのものは、「百尺シックナー」と呼ばれています。案内板や右下の人影と比べて、大きさがわかっていただけるでしょうか?

神子畑選鉱場跡のシンボルとして、堂々と君臨しています。UFOみたい!

この円盤の上に水をためて、ゆっくりと回転させて、水と鉱石、薬品を分離させ、スライム(不要物)を下に貯めているのだとか。

本当に美しくてかっこいい! 操業しているときには、この美しさは知れ渡っていたのでしょうか?

内部にはまだ機械もありそうです。

内部に入れないのが残念! ちなみに選鉱場跡も立ち入り禁止。

選鉱場やシックナーの様子は、こちらをご覧ください。

ムーセ旧居

1872(明治5)年、生野銀山に造られたフランス人技師ムーセの宿舎で、神子畑の鉱山が再開発されてからは、事務所として移築されました。

コロニアルスタイルの建物は、ちょっと場違いな気もしましたが、近代化に賭ける政府の姿勢も伝わります。

皇室財産であった生野銀山にあった建物のため、菊の紋章が瓦に刻まれていました。

生野銀山に招かれたフランス人技師長ジャン・フランシスコ・コワニエ夫妻。生野銀山には一時24名のフランス人がいたそうです。

在りし日の神子畑選鉱場。模型もありました。

模型で見ると、選鉱場の様子がよくわかりますね。

昨年宮崎美子さんもここに来られたそうです。

記録ビデオの上映や、神子畑オリジナルグッズの販売もありました。

とても見どころがあって、面白かったです。もっといい写真を撮りたかったな。

今回の気づき

天滝から猿尾滝にコース変更となり、時間が余ったせいか、神子畑ではたっぷり時間があり、説明もじっくり聞けてとてもよかったです。

クラブツーリズムで行く明延鉱山・神子畑選鉱遺跡と猿尾滝1

2018年7月27日

ずっと猿尾滝でもいいかも。

神子畑で説明を聞いていると、無性に生野銀山に行きたくなりました。

いっそのこと、生野銀山、神子畑、明延鉱山を巡る「鉱石の道」巡りツアーを企画してくれたらいいのにな。

そのときには、また参加してみたいです(公共交通機関では行きにくい場所だし)。

たっぷり神子畑を堪能し(16:10発)、赤松SAで休憩し(17:20~17:40)、梅田に到着したのは18:30頃。

本日の全ルートです。

運転手の河合様、添乗員の木下様、そして明延鉱山や神子畑のボランティアガイドの皆様、本当にありがとうございました。とても勉強になった、いいツアーでした。

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