2022年5月5日(木)、大河ドラマ『どうする家康』でも描かれた、長篠の戦いゆかりの場所を訪れました。
JR飯田線に初乗車!
今回の旅のスタートは、愛知県豊橋市。豊橋駅からJR飯田線に乗って
愛知県新城(しんしろ)市の三河東郷駅を目指しました。
飯田線に乗るのは初めてです。豊橋から静岡県を通って長野県辰野駅まで行く路線なんですね。信濃や駿河は、三河とかなり近いなと、鉄道路線図を見ていると実感できます。武田の脅威を感じます。
途中には、信玄が最後に落城させた野田城の駅名(新城市)。黒澤明監督の『陰武者』では、信玄は野田城で美しい笛の音に誘われて本陣を出たところを、鉄砲で狙撃されたという伝説を採用しています。
50分ほどで三河東郷駅に到着。
実は飯田線には、「長篠城駅」や「本長篠駅」もあります(いずれも新城市)が、私たちがイメージする長篠の戦いといえば
やはりこのシーンですよね。この場所は「設楽原(したらがはら)」と呼ばれていますが、その最寄り駅が三河東郷駅でした。
ここから徒歩で20分ほどの場所です。バスはおろかタクシーもなく、頑張って歩くしかなさそうでした。
各地に残る激戦の痕跡
設楽ヶ原に行く途中にも、面白いものが色々ありました。駅前にあったこの石碑は
曹洞宗の勝楽寺にある設楽原戦没者の慰霊碑。設楽原古戦場いろはかるたというのがあるらしく「ねんごろにまつりたやさぬ勝楽寺」という看板もありました。
野の花々が咲き乱れていて美しい田園風景ですが
「雄々しくも立ち腹さばく甘利信康」と看板がある、この地で自害した甘利信康の墓があったり
その近くには「ぬかるみに馬もしりごむ連吾川」の看板がある、柳田前激戦地の石碑があったり。
連吾川に架かる柳田橋には
武田の騎馬武者らしき人物が描かれていました。
長篠合戦図屏風 よく見るといろいろな発見あり
さらに進むと、大きな長篠合戦図屏風が見えてきました。
教科書やテレビなどで何度も見てきた絵なのですが、改めてこんな大画面で見てみると、
色々不思議な点がありました。
一番不思議だったのは、馬防柵から出て攻撃している人たちが大勢いること。危なすぎ! 馬防柵があるのに、なぜわざわざ、こんな危険なことをしているのかな?
ありがたいことに、主な人物には名前が書いてありました。柵の前に出ている人の1人は、『どうする家康』でも活躍している「三河一の色男」大久保忠世(ただよ)兄ぃではないですか! その左にいる大久保忠佐(ただすけ)は忠世の弟です。
柵の内側には、本多忠勝(平八郎)や、平岩親吉らがいます。
「五」の旗は徳川軍の使番(つかいばん 伝令将校)の旗印で、「五」の旗の近くに描かれているのが徳川家康でした。
馬防柵の前に出ている徳川軍は、武田軍が馬防柵に向かって突進するよう挑発していたのだとか。それにしても勇気があります!
この戦いは、あくまでも徳川方の長篠城を救援するため、徳川が織田に援軍要請し、武田軍と徳川・織田連合軍が戦うことになったのですが、あくまでも最前線に出るのは徳川家康と家臣たちだったのです。
次回はいよいよ、実際に馬防柵を見に行きます。どうかお楽しみに!
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