2022年5月、徳川家康ゆかりの地・愛知県を訪れました。愛知県の東半分である三河地域にも面白いパワースポットがありましたが
愛知県西半分である尾張地域の中心部・名古屋でも、パワースポットや人気の寺社を色々参拝することができました。
大須商店街にあるきらびやかな現代風寺院
名古屋市で日本三大観音の1つである大須観音に参拝し、大須商店街も訪れた私たちでしたが
大須商店街で、とてもユニークな建物を見つけました。

それがこちらの寺院。
万松寺(ばんしょうじ)という寺院でした。商店街の中の寺社というと、京都でも錦市場の錦天満宮や、新京極通の蛸薬師堂(永福寺)などがあり(大阪梅田のお初天神もかな?)、特に珍しいとも思わないのですが

こんなにモダンで華やかなのは、名古屋ならではかな?
そしてこの万松寺は、調べていくとなかなか興味深い歴史がある寺院だったのです。
織田家の菩提寺だった万松寺 信長の父の葬儀も行われていた!
この万松寺は織田家の菩提寺として。戦国時代に織田信秀が創建したのだとか。以前は他の場所にあったのですが(旧那古屋城の南側)、名古屋城と名古屋の町を大々的に建設した徳川家康によって今の大須商店街の場所に移されたのだとか。
織田家の菩提寺ということで、織田信秀の葬儀が行われた寺でもありました。
『信長公記』によると、この時18歳だった信長の服装は、長い柄の太刀と脇差しを稲穂の芯でなった縄で巻き、髪は茶筅で巻き立て、袴も着用していなかったそうです。そして焼香のときに仏前へ進み出た信長は、抹香をぱっと摑むと、仏前へ投げつけて帰ってしまいました。
型にはまらない信長の性格を表現するときによく紹介され、大河ドラマなどでもよく映像化されるシーンですが、万松寺が舞台だったとは。
幼い松平竹千代がここで過ごしていた?
この万松寺では、騙されて6歳で人質として尾張の織田信秀のもとに人質として連れてこられた松平竹千代(後の徳川家康)が過ごしていたという伝承もあるのです。
竹千代は最初、熱田の加藤図書助順盛宅で過ごしましたが、その後はこの万松寺で3年間過ごし、時折母のお大の方も差し入れなどを送っていたとか。
今年のNHK大河ドラマ『どうする家康』では、特にこの「万松寺」という名前が紹介されることはなかったと思うのですが、幼い竹千代がここで過ごしていたのかな?
竹千代とは8歳違いの信長とは、ここで出会っていたのでしょうか。6歳の竹千代は今なら小学校1年生のお坊ちゃん。8歳年上の信長は、14歳で今なら中学2年生のヤンキーだと思えば、一生トラウマになりそうな出会いだったかもしれませんね。ちやほやされた今川家での人質生活に比べれば、本当にひどい目に遭ったと思います。
信長の身代わりになった不動尊
この万松寺は、信長の身代わりになった不動尊の伝説でも有名でした。

舞台になったのは、先日バスツアーで訪れた福井県の金ケ崎。
朝倉攻めに出た織田信長が浅井長政の裏切りに遭って単身京都に逃げ帰り、秀吉や家康が追撃する浅井・朝倉軍を福井県の金ケ崎で食い止めた戦いが有名ですが、信長は京都到着後岐阜城に戻る際、鉄砲の名人・杉谷善寿坊に狙撃されたのです。
ところが鉄砲の珠は、万松寺の住職からもらい受けた懐の干し餅に当たり、信長はかすり傷程度で済みました。
信長はこれを、万松寺の不動明王のおかげと深く感謝したとか。

「杉谷善寿坊」と言えば、NHK大河ドラマ『黄金の日々』で今は亡き川谷拓三さんが演じておられたのが印象深いですが、こういうエピソードもあったのですね。
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