初めて見た花嫁のれん
2021年6月21日(月)、石川県七尾市の和倉温泉加賀屋をチェックアウトした私たちは、電動アシスト自転車を借りて、日本百名城の1つ・七尾城を訪れました。
最後に訪れたのは、七尾駅からも近い、花嫁のれん館。
昨日七尾駅に到着した時、「花嫁のれん」という特別急行列車(観光列車)を見たのですが、
列車の名前の由来となった花嫁のれんを、ぜひ実際に見てみたいと思ったのです。
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館内に入ると(入口にはやっぱりのれんがありました)
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早速花嫁のれんが!
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石川県を中心とした旧加賀藩(加賀・能登・越中)には、娘夫婦の幸せを願って新婦の実家が「花嫁のれん」という美しいのれんを加賀友禅で仕立て、嫁入り道具として持たせる風習がありました。
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花嫁は、婚家の仏間に架けられた花嫁のれんをくぐり、仏壇でご先祖様の霊に婚家の一員となることを報告してから結婚式に臨みます。
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花嫁が婚家の敷居をまたぐ前に、実家と婚家の水を合わせた水を土器の杯で花嫁に飲ませ、その後杯を土間に打ち付けて割る(実家には戻らない、戻れない)「合わせ水」の儀式を紹介したパネルもありました。
進化する花嫁のれん
花嫁のれんの習慣は、幕末~明治時代から始まったそう。
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明治時代の花嫁のれんは木綿で、青色や紫色が主流でしたが
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大正時代になると絹(綸子、羽二重、ちりめん、紬)が使われます。草木染の柔らかい色調が特徴。
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そして昭和になると、化学染料が使用され、はっきりした絵柄となり、赤色も使用され、三段ぼかし(上段が赤色、中段が白色、下段が緑色など)も入るようになりました。
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平成になると絹のちりめん生地で、
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華やかな色(赤色以外も)や絵柄が多くなり
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美術作品として作者の落款を押すようにもなったそうです。
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結婚式後は「箪笥の肥やし」になっていた花嫁のれんですが、2004年からGW期間中、この近くの一本杉商店街のショーウィンドーや店内に飾られるようになり、2016年にはこの花嫁のれん館が開館し、常時見学できるようになったとのこと。美しい花嫁のれんの数々を見ることができて、とても目の保養になりました。
七尾ゆかりの有名人の銅像とご対面
花嫁のれん館に隣接して、
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小丸山城址公園がありました。何の予備知識もなく通りかかったのですが、前田利家が能登一国の大名として七尾に入った時に築いた城が小丸山城で、後に加賀の領土を加増され、金沢へ拠点を移すまでの間、政治経済の中心となりました。七尾城は防御力は素晴らしかったけれど、中世の山城で港から遠く、利便性に難があったのです。
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NHK大河ドラマ「利家とまつ~加賀百万石物語~」放映(2002年)を記念して建てられた像がありました。
安土桃山時代の画家・長谷川等伯も、七尾市出身の興味深い人物。大河ドラマの主役になってもいいのではと思われる、波乱万丈の人生でした。
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昨日七尾駅に到着した時から、この垂れ幕が気になっていて、
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やっと今日、駅前にあるだろうと睨んでいた、等伯の銅像を見つけることができました。1995年に建立された、故郷を旅立とうとする等伯の像「青雲」です。
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視線の先は京都かな?
私たちも、そろそろ能登とお別れです。
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七尾駅に戻ると、昨日タクシーの車窓から見た間垣(まがき)が!
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ちゃんと解説も付いていました。懐かしいな。
七尾駅のホームで「とうはくん」に見送られながら
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見どころが多かった七尾の地を後にしました。
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