さわらびの道と宇治上神社  現存最古の神社建築と、『源氏物語』の世界が味わえる静かな場所 

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早蕨之古蹟周辺は、宇治の姫君たちの屋敷があったとされる場所?

2023年、京都府宇治市を訪れる機会がありました。

平等院や縣(あがた)神社のある宇治川左岸から、宇治川の中の島へ渡り、朝霧橋を渡って右岸の宇治神社に参拝し、

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次の目的地である宇治上(うじがみ)神社を目指しました。

宇治神社と宇治上神社をつなぐ道は、「さわらびの道」という散策路の一部で、

途中には「早蕨(さわらび)之古跡」という文字が刻まれた石碑もありました。かなり古い石碑かと思ったら、1988年に宇治市文化財愛護協会によって建てられたものでした。意外に新しいですね。

『源氏物語』後半の、宇治を舞台にした「宇治十帖」の中に「早蕨」という巻があります。宇治の姫君の1人、中君(なかのきみ)が、亡き父の八宮(はちのみや)や姉の大君(おおいぎみ)を偲ぶ和歌にある「早蕨」という言葉が巻名の由来だとか。

その石碑がなぜこの場所にあるかというと、八宮の宇治の山荘がこの辺りにあったのではないかとされているからです。もちろん八宮は物語の中に出てくる人物なので、彼の山荘も現実には存在しない架空の世界の産物ですが、

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京都市下京区にも、『源氏物語』に登場する「夕顔」という女性の墓があったりします。江戸時代から、『源氏物語』の聖地巡礼が盛んになったため、ゆかりの地の石碑などが作られるのでしょう。

最古の神社建築が残る宇治上神社

「早蕨之古跡」を過ぎると

すぐに宇治上神社の鳥居が見えてきました。

世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産の1つになっています。

鳥居から「さわらびの道」をさらに進み、正門をくぐると、

鎌倉時代に建てられた拝殿(国宝)が見えてきました。さらにその背後に回ると

現存する最古の神社建築である本殿(もちろん国宝)が! 平安時代後期の建築だそうです。何だか神聖な気配を感じました。

ご神木のケヤキ。

「宇治七名水」と呼ばれた名水の一つ「桐原水」(きりはらみず)は、七名水の中で唯一現存しているものだとか。手水として使われていますが、たくさんの人が利用していました。飲めたらいいのに。

摂社の春日社も、鎌倉時代後期の造営という重要文化財。小さいながらも趣のある建物でした。

菟道稚郎子命と八宮

この神社の祭神は、宇治神社と同じく菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)ですが、祭神は1柱ではなく、菟道稚郎子命の父である応神天皇と、兄である仁徳天皇も祀られています。

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皇位を巡って図らずも兄弟のどちらが即位するかという問題になり、弟の菟道稚郎子命は宇治に退き、自ら命を絶ってしまったという話が、『源氏物語』の八宮と似ている!とされたのが、「早蕨之古跡」が宇治上神社と宇治神社の間に建てられた理由のようです。

八宮の場合は、弟の十宮(後見人は光源氏。実は藤壺と光源氏の不義の子)の即位に不満だった弘徽殿大后が、十宮の対抗馬として担ぎ上げ、十宮が冷泉帝として即位して以後は不遇が続き、自宅が火事に遭ったのを機会に、宇治の山荘に隠棲したという設定です。

それにしても、八宮や十宮の父・桐壺帝は、光源氏の母・桐壺更衣を喪ってから悲しみに沈み、周囲の勧めで桐壺更衣に瓜二つの藤壺を入内させて寵愛するという話ですが、光源氏(二宮)誕生後も、(藤壺以外の)他の女性たちとの間に7人も皇子を作っていた!のにはびっくり。多くの子供を作るから、気の毒な皇子も登場するわけです(他に皇女もいる)。まぁそうしないと、宇治十帖の物語は誕生しなかったのでしょうが。

天皇は、後宮の女性を万遍なく愛さなければならないということでしょうか。光源氏は父親似ですね。

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