駅からとても近い徳島城
2025年9月15日(月)の祝日を利用して、大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主人公である豊臣秀吉の弟・秀長ゆかりの、一宮城跡(徳島市)を訪れる機会がありました。
戦国時代の四国の覇者・長宗我部元親は、小牧・長久手の戦い前に徳川家康から秀吉の背後を衝くよう要請され、度々背後を脅かされた秀吉は、四国攻めを考えるようになりました。その時に主戦場の1つとなった城が、一宮城。病で倒れた秀吉に替わって総大将を務めた羽柴秀長が、なかなか落とせず苦しめられた城です。
結局羽柴秀長軍がこの戦いに勝利するのですが、この戦いに目付として従軍した蜂須賀正勝(通称小六)は、この時すでに60歳で隠居の身。秀吉は戦後、彼に阿波国を与えようとしましたが、彼は大坂で秀吉の側近として仕えることを望んでこれを辞退。代わりに嫡男の蜂須賀家政に阿波国が与えられました。
当初、一宮城を居城とした蜂須賀家政ですが(一宮城本丸の石垣は、この頃のものらしい)、一宮城は堅固な山城ではあるけれど、阿波一国全体を支配するのは不向きではないか。また、水軍の展開もし難いとして、吉野川河口部に徳島城を建設したのです。
明治時代に廃城となった徳島城跡は公園となり、その外周に駅が建設されたため、駅からはかなり近い。
踏切を渡って、城跡の徳島中央公園へ。
とても広大な公園で、吉野川水系の助任(すけとう)川に面しています。平地なのがよくわかり、これなら城下町もいくらでも拡大できそう。この時期見られた、山城から平城へという流れが、ここにもあったのでした。
城山と蜂須賀家政像
山城の一宮城を訪れた後なので、今日はもう山を登らなくていいだろう(登りたくない)と思っていました。徳島城は平地にあるから、もう山を登ることはないなと思っていたのですが、天守や本丸は、城山の上にあったのでした。
「小さな丘陵」と説明板には書かれていましたが
それなりの登り坂。今日2回目なので、心理的なダメージが大きいです。
美しい緑色片岩(青石)の石垣に、辛うじて癒されます。
標高61.7mから眺めた徳島市街。
頂上の本丸跡。藩主は普段、山麓の御殿で暮らしていて、本丸は武器の収納庫でした。
いくら防御上都合が良くても、藩主やご家来衆も登ったり降りたりが大変かな。
天守は江戸時代初期には破却され、「御三階櫓」が東二の丸に建てられました。外様大名だから、幕府を警戒したのでしょうか。
初代徳島藩主となった蜂須賀家政像は、城山の麓にありました。阿波踊りは、「徳島城の完成を祝って好きに踊れ」と城下に御触れを出したことに始まるのだとか。
正門は、復元された「鷲の門」
私たちは徳島駅西側の踏切を渡って、徳島中央公園から徳島城跡を訪れたのですが、
本来の徳島城正門は、この「鷲(わし)の門」。1945年の徳島大空襲で焼失してしまいましたが、復元されました。
堀に架かる下乗(げじょう)橋。橋の前で駕籠などの乗り物から降りて、歩いてこの橋を渡る決まりでした。建物が残っていない徳島城跡ですが、当時の面影をうかがい知ることができました。







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