豊臣兄弟ゆかりの徳島城  蜂須賀家政によって築城された、阿波国支配のための城

スポンサーリンク



駅からとても近い徳島城

2025年9月15日(月)の祝日を利用して、大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主人公である豊臣秀吉の弟・秀長ゆかりの、一宮城跡(徳島市)を訪れる機会がありました。

戦国時代の四国の覇者・長宗我部元親は、小牧・長久手の戦い前に徳川家康から秀吉の背後を衝くよう要請され、度々背後を脅かされた秀吉は、四国攻めを考えるようになりました。その時に主戦場の1つとなった城が、一宮城。病で倒れた秀吉に替わって総大将を務めた羽柴秀長が、なかなか落とせず苦しめられた城です。

豊臣兄弟ゆかりの一宮城へ3  当時の山城らしさが偲ばれる陰滝方面への下り道

2026年5月30日

豊臣兄弟ゆかりの一宮城へ2  北側登山道は整備された道 頂上からの眺めは素晴らしい! 

2026年5月28日

豊臣兄弟ゆかりの一宮城へ1  秀長軍を苦しめた一宮城へは徳島駅から路線バスで

2026年5月23日

結局羽柴秀長軍がこの戦いに勝利するのですが、この戦いに目付として従軍した蜂須賀正勝(通称小六)は、この時すでに60歳で隠居の身。秀吉は戦後、彼に阿波国を与えようとしましたが、彼は大坂で秀吉の側近として仕えることを望んでこれを辞退。代わりに嫡男の蜂須賀家政に阿波国が与えられました。

当初、一宮城を居城とした蜂須賀家政ですが(一宮城本丸の石垣は、この頃のものらしい)、一宮城は堅固な山城ではあるけれど、阿波一国全体を支配するのは不向きではないか。また、水軍の展開もし難いとして、吉野川河口部に徳島城を建設したのです。

明治時代に廃城となった徳島城跡は公園となり、その外周に駅が建設されたため、駅からはかなり近い。

踏切を渡って、城跡の徳島中央公園へ。

とても広大な公園で、吉野川水系の助任(すけとう)川に面しています。平地なのがよくわかり、これなら城下町もいくらでも拡大できそう。この時期見られた、山城から平城へという流れが、ここにもあったのでした。

城山と蜂須賀家政像

山城の一宮城を訪れた後なので、今日はもう山を登らなくていいだろう(登りたくない)と思っていました。徳島城は平地にあるから、もう山を登ることはないなと思っていたのですが、天守や本丸は、城山の上にあったのでした。

「小さな丘陵」と説明板には書かれていましたが

それなりの登り坂。今日2回目なので、心理的なダメージが大きいです。

美しい緑色片岩(青石)の石垣に、辛うじて癒されます。

標高61.7mから眺めた徳島市街。

頂上の本丸跡。藩主は普段、山麓の御殿で暮らしていて、本丸は武器の収納庫でした。

いくら防御上都合が良くても、藩主やご家来衆も登ったり降りたりが大変かな。

天守は江戸時代初期には破却され、「御三階櫓」が東二の丸に建てられました。外様大名だから、幕府を警戒したのでしょうか。

初代徳島藩主となった蜂須賀家政像は、城山の麓にありました。阿波踊りは、「徳島城の完成を祝って好きに踊れ」と城下に御触れを出したことに始まるのだとか。

正門は、復元された「鷲の門」

私たちは徳島駅西側の踏切を渡って、徳島中央公園から徳島城跡を訪れたのですが、

本来の徳島城正門は、この「鷲(わし)の門」。1945年の徳島大空襲で焼失してしまいましたが、復元されました。

堀に架かる下乗(げじょう)橋。橋の前で駕籠などの乗り物から降りて、歩いてこの橋を渡る決まりでした。建物が残っていない徳島城跡ですが、当時の面影をうかがい知ることができました。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です